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都市を外部から考えることは可能か

都市を外部から考えることは可能か
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都市と建築の雑誌『山をおりるマガジン』創刊号をお届けします。

お届けしますといま書きましたが、じつはまだ1本も記事がありません。このような状況で巻頭言じみたテキストを書いているわけですが、これには理由があります。この理由が、そのまま『山をおりるマガジン』という媒体の特徴にもなるので、創刊ということもあり、まずはそのことについて書かせてください。

特集主義のオルタナティヴ

『山をおりるマガジン』は、ニュースレターと雑誌を組み合わせたメディアであり、読者からの反応がメディアに反映されるコミュニティでもあります。すでに複雑な説明になっているかと思いますので、ふたつの特徴をひとつずつ解説していきます。

まず、ニュースレターと雑誌を組み合わせたメディアとはどのようなものか。『山をおりるマガジン』は、年間特集をかかげ、1年間かけてひとつの特集テーマについて記事を作成し、すこしずつ公開します。

一般に、紙媒体であれウェブメディアであれ、「特集」をかかげるメディアは、複数の記事を特定の特集として編纂します。特集として1本の軸をとおすことで、記事同士の関連性や特集テーマの幅広い視野を示すと同時に、特集するタイミングの時代性がひとつの切断面として見えるわけです。そしてその切断面のアーカイヴが、メディアの視点や独自性をより強固なものとします。

他方で、あるタイミングにおける「ひとつの切断面」として提示されるため、瞬間最大風速は出せるものの、いっときの話題として消費されてしまったり、炎上の対象になってしまうことも増えたように感じます。加えてウェブメディアでは、単体の記事にURLが振られ、SNSで拡散されることで、広く読まれるものの記事の背景にある特集の意図が捨象されてしまい、文脈が読まれにくい状況が生まれてしまっています。

『山をおりるマガジン』では、1年間かけてひとつの特集テーマについて継続的に議論することで、こうした課題を回避し、ゆっくりと、深く考えることのできる時間を用意することができるのではないかと考えました。

Media as a Community

つづいて、読者からの反応がメディアに反映されるコミュニティとはどのようなものか。『山をおりるマガジン』は、記事をニュースレターとして読者のデバイスに直接お届けします。ウェブサイトはありますが、事前に購読いただいた読者しか全文は読めません(別途、記事単体を購入できる仕組みは用意する予定です)。

購読と同時に、読者を山をおりるDiscordサーバーに招待します。このDiscordサーバーはインターネット上のコミュニティとして機能し、読者は記事や特集の内容に対してコメントなどの反応をおこなうことができます。

ところで、『山をおりるマガジン』は1年間かけてひとつの特集テーマについて議論すると書きましたが、大きくふたつの期間に分けられます。ここまで書いた内容が前期にあたり、後期では、コミュニティからもらったリアクションを記事や特集自体にフィードバックし、追加取材・追加編集をおこないます。こうした読者からの反応を反映させたものを、紙の雑誌としてあらためて刊行します。

『山をおりるマガジン』の構造

暴力装置としての編集

『山をおりるマガジン』のこのふたつの特徴は、いずれも「編集行為を引き伸ばす」ことでオープンなメディア空間をつくれないだろうか、という思いから企図しました。

「編集」は、基本的にその作業の内側が見えにくいため、ブラックボックス化しがちです。たとえばインタビュー記事をつくるとき、インタビュー中に話された内容がすべて記事化されることはまれで、インタビュイーがほんとうに伝えたくて話したことがテキストでは消されたり、記事のテーマに合わせて話題の一部が誇張されたりといったことが、編集者の権限によって実施されます。

このような操作は、コンテンツの内容が読者により伝わりやすくなる効果がある一方で、それ以外の文脈が切り捨てられる、ある種の暴力装置として編集行為をとらえることも可能ではないでしょうか。それは、メディアにおけるコンテンツが「記事」として定着・固定されることによって、いっそう強化されているとも考えられます。

山をおりるは、メディアは読者とともにあるべきだと考えます。そうであるなら、編集行為を可能な限り開示したオープンな制作環境において、メディアが運営されるべきではないかと考えました。そしてその方法として、これまでの制作フローでは記事を公開した時点で完了していた編集行為を先延ばしにし、読者の視点を巻き込みながらコンテンツをブラッシュアップしていく、つまり「編集行為を引き伸ばす」ことを実践しようとしたわけです。

複数の視点から考える

1年間かけてひとつの特集テーマについてゆっくり議論しながら、読者のリアクションを記事や特集にフィードバックし、最終的なアウトプットとして雑誌を刊行する。こうした実践を、あくまで「都市と建築の雑誌」としておこなうことは、いまこの時代においてまさに求められていることだと思っています。どういうことでしょうか?

いま世界は分断のただなかにあります。一部には支配的な状況や構造があり、虐げられる人びとや改善しようと試みる人たちがいます。こうした複雑化した状況を可視化したものが「都市」なのではないか、とぼくたちは考えています。ぼくたちは世界の複雑さを「都市」として受け入れ、偏った状況を改善する手を止めないことが求められるのではないか。

都市の背後には、国家、市民、政治、権力、科学、文化、さまざまな要素が見え隠れしています。世界の複雑さを「都市」として受け入れるためには、こうした要素をしっかりと見て考えることが必要ですが、ひとりの視点だけでは状況をより偏らせることにつながってしまうかもしれません。

そこで『山をおりるマガジン』では、ゲストエディター制度を導入することにしました。山をおりるマガジンは、ひとつの特集に複数人のゲストエディターを招聘し、ポリフォニックな言論空間を目指します。ひとつの特集内に複数のテーマを設定し、テーマごとにゲストエディターとともに記事を企画・制作します。

『山をおりるマガジン』のゲストエディター制度

ゲストエディターは、主に建築・都市の専門外の方を招聘します。既存の領域に閉じた状況でだけ考えるのではなく、領域をまたいだ状況こそ「都市」を体現できると考えるからです(あるいは「対象領域の外部から考える」ことこそ、その領域において批評として機能すると考えるからです)。

ゲストエディターたちの複数の視点を借りながらひとつのテーマについて思考することが、ますます複雑化する「都市」をより深く、ぼくたちの身近にとらえるための視点を獲得することにつながると信じています。

このほか、『山をおりるマガジン』の編集指針をAboutページに記載しています。

また、創刊特集「発注」については、別途巻頭言を公開します。

『山をおりるマガジン』は、山をおりるを発足した当初から実践したかったこと、あるいはこれまでに実践してきたことのアップデートなどが、キメラのように育った結果の実践です。そして繰り返しますが、まだ1本も記事がないわけで、まだまだこれから育っていく実践でもあります。

このメディア実践には、読者であるみなさんの力が必要です。ただ見守るだけでなく、積極的に関わり、ともにこの実践を育てていってもらいたいと思っています。ぜひ長くお付き合いください。

編集人を代表して
春口滉平